子供のころの没入体験は、プラモデル作りでした。
食事の時間になり「ご飯だよ」って呼ばれても全く聞こえません。
完成と同時に、現実に戻り、強烈な尿意を感じトイレにダッシュしていたことは、いい思い出です。
これは、まさに没入体験です。熱中どころではありません。
この頃から、多分に適応障害的だったのだと思います。
先日のクロ現では、適応障害の方が、すごく細かい作品を職人技で作っていました。その時、周りから話しかけられても気が付かないのです。
発達障害の人々の才能が開花できる社会はいいな。社会は確実にいい方向に向かっている。元来、天才的な職人さんの多くは発達障害的だったような気がする。
— federao (@ymcf6) 2018年11月27日
企業が注目!発達障害 能力引き出す職場改革 | NHK クローズアップ現代+ https://t.co/ZwEYWbY7M8
今の仕事の一つにも、これに似た没入感を体験することができます。月に数回程度なのですが、数少ない人生の喜びを感じる一瞬でもあります。
ほとんどの仕事はブラックでストレスも多いので、この一瞬とは全く釣り合いませんが。
ブログを書いている時も、実は没入しています。さすがに尿意には勝てませんが、時間を忘れて書いていることが多いです。この歳で、没入できることを見つけたのはとても嬉しいことです。ちょっとした財産ですね。
振り返ってみると、小学生のころも、作文を書いている時や、班日記を書いてる時なども、没入していました。昔から書くのが好きだったんですね。ほんとに忘れていました。
時々、こうして没入し、書きながら、過去の自分と対話することは、私にとっては大切なものです。きっと今後、何度も私の心をじんわりと温めてくれます。