この記事のことを考えて続けていて、自分なりに納得できたので、忘備録として記録しておこうと思います。
学生時代の衝撃的な出来事、クラブを強くするため練習、規律を厳しくすると部員が次々に辞めていった事を、数十年間、忘れていたことです。
そして出世した友人にとって、このことが人生においてすごく大きな出来事だと語っていたことです。
私にとってみればクラブ生活はかけがえのない私の人生の一部でもあります。
それなのに、なぜ私はこのことをすっかり忘れてしまっていたのか。
確かに私はいい部員ではありませんでした。
協調性はないし、自分の考えだけで動くので軋轢を起こしますし、部の方針なんて相手にもしていませんでした。当然、スタッフにもなりません。その一方、実力はそこそこなのでスタッフは無視できません。あいつさえいなければと思われていたと思います。
私が入部した当時は非常に弱いチームでした。みんな頑張っているにしては、割に合わないくらいの弱さでした。
そして先見の明があるスタッフ達によりチーム改革が始まり、あっという間に強いチームに生まれ変わったのです。
それまでの規律礼儀重視から、内容重視、どうしたら個々の実力が上がるのかという改革です。
この成功体験は忘れられない出来事でした。
かつて他のチームに起こった忘れられない出来事が自分の身に起こったのです。
嫌々やっていた練習が、とたんに楽しくなりました。日々、上達を実感できます。自然にどうしたら強くなれるのかということを日々真剣に考えることができました。
それまでは、嫌々やっていたので、うまくもならず、上級生の悪口を言って、日々過ごしているだけでした。
それが毎日、部員たちと技術や心構えなどを真剣に話し合うようになったのです。
しかし、一方で規律礼儀重視からの変換だったので、当然、緩むことがありました。それまでなかった遅刻、欠席などが起こるようになっていました。
1年が経ち、強い上級生の卒業とともに、弱いチームに戻りました。
新しいスタッフは強くなるために、なぜか規律礼儀重視に戻しました。
いわゆる最近の若いやつはシンドロームですね。
俺達はこんなに苦労して行きたんだというやつです。それを下級生に押し付けました。そして部員たちが辞めていき、さらに弱いチームになっていきました。
その後の方針転換、成功は前の記事に書いた通りです。
私がこの事を忘れていた理由は、すでに経験していた失敗を繰り返していることに嫌気がさしていたからだと思います。だから記憶から消してしまっていたのです。
私は協調性がない上に、小学生のときのソフトボール体験を経験していたので、誰よりもこのことに自覚的だったのだと思います。
だから他の部員たちが感じ取れなかった、一度目の成功体験を自覚できたのだと思います。
協調性がないのは、疲れるなとよく思っていますが、数少ない、いい面だったのだと思います。