シャリースはデビューから知っていて、圧倒的なヴォーカルが好きでした。
これ見てください。天地がひっくり返ります。
ピアノはデビッド・フォスターですね。
当時は日本でも人気が高かったと思います。
そして、このドキュメンタリーを見て、またまたびっくりしました。
「ジェイクとシャリース〜僕は歌姫だった〜」
アメリカ国際フィルム・ビデオ祭「ドキュメンタリー・社会問題部門」金賞受賞。トランスジェンダー男性であることを公表したフィリピンの大スター。彼の再出発を見つめる。
フィリピンの貧しい家庭からアメリカンドリームをつかんだ少女シャリース・ペンペンコ。アジア人アーティストで初めてとなるビルボード・アルバムトップ10入りから7年後、自らの性自認が“男”であること、つまりトランスジェンダー男性だと公表。「ジェイク・ザイラス」と名前を改め、シャリースとしての名声も高い声も捨てての再出発。彼の人生と新しい挑戦を追いながら、自分の声を見つけるまでの等身大の姿を追いかける。
ジェイクは、自分を隠して生きることに耐えられなくなり、自殺未遂をした後、シャリースの歌声を捨てました。彼にとって大事なのは、あの歌声や名声やお金ではなくて、自分自身でいられること。
私は(というか、デビッド・フォスターやシャリースファンの多くの人、そうでない人も)、あの歌声を捨てるのはもったいない。と感じたと思うんです。
私ならどうするだろう?私はより才能や名声やお金に執着するタイプなので、才能や名声やお金を本当に捨てることができないんじゃないかな?自分を偽り続けることはできないのか?をまず考えてしまう。
そう考えると、もしかしたら世の中には、才能や名声やお金のために、自分を偽って生きている人が、私が思っているより多くいるのかもしれないよね。
そもそも周囲との摩擦を考えて隠している人も多い。
アーチストだけじゃない。スポーツ選手とか、タレントさん、身近なところにも。
私にはマイノリティに対する想像力が絶対的に足りないな。