幸せなことだけをして生きていきたい

日常で考えたことを、「14歳の私」に伝えたいコトを書いています。もっと失敗しろよ。

ビジネスやリーダーシップについてのいい教材  2004年のプロ野球ストライキ

2004年のプロ野球ストライキ

当時、毎日のようにニュースをフォローして、いろんなことを感じてたはずなのに、半分くらいしか記憶に残ってない。

 

時事ネタは、すぐに劣化するのでブログ記事にするのはためらわれるんだけど、いわゆる大事件や、自分がすごく興味があることについては、きっと記事として残しておくべき。と改めて思いました。

 

プロ野球ストライキ 逆転劇の舞台裏」 - アナザーストーリーズ 運命の分岐点

www.nhk.jp

 

経営危機の近鉄が、オリックスに吸収合併することが、突然、発表され、騒然となる。

経営者側は、もう1球団潰して、10球団1リーグでやろうとするが、選手、ファンが大反対。ホリエモンライブドア近鉄買収を表明するも経営者側は、そのまま押し切ろうとし、選手会ストライキを断行。ファン離れも危惧されたが、プロ野球ニュースでの古田選手の涙、ナベツネさんの「たかが選手が」発言の後、流れが一気に変わって、ファンはストライキを支持。結局、楽天が生まれて12球団維持で決着。

 

心揺さぶられるドキュメンタリーでした。

野球ファンだけでなく、ビジネスやリーダーシップのいいロールモデル

 

いつものように3人の視点で語られます。

 

 

まず一人目、古田敦也さん。

ストライキという苦渋の決断をし、フジテレビのすぽると!出演時、ファンからの「応援している。頑張れ」という声に涙した。

今、見てもこの時の涙は感動的。

 

 

二人目は、経営側のスポークスマン、ロッテの瀬戸山球団代表

記者会見で古田敦也さんに握手を求めて拒否られた人。

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当時、瀬戸山さんは国民の敵みたいなものだった。

 

でも所詮、球団代表。

オーナーと違い決定権はなく、選手会とオーナーとの調整役。落とし所を探ってた人。

 

当時、私もこの人は悪い人じゃないのかな。と思ってたはずなんだけど、記憶があやふや。日記くらい残しとかないとね。

 

瀬戸山さんは振り返って

「もっと選手会の切迫した意見を伝えて、ストライキを回避すべきだった。」

と言ってた。

 

ほんとはいい人だったんだな。ということが滲み出ている。

でないと、古田さんに握手を求めたりしないだろ。

華々しい経歴。

瀬戸山隆三 - Wikipedia

今回の騒動で、立場上、最も損をした人。

 

 

3人目は最も重要な人物。

井上智治さん。

経営側からアドバイスを求められた経営コンサルタント

 

最も重要な人だけど、誰もこの人のことを知らない。

Wikipediaにも載ってない。

 

経営側から新球団選定を依頼され、ホリエモンライブドアを退け、楽天口説き落とした。

当時、プロ野球は斜陽産業。どこの球団も赤字経営楽天も乗り気ではなかった。

しかし井上さんは、スタジアム、グッズ、飲食含めた一体経営モデルで、黒字化可能であるとし、楽天口説き落とした。

だから楽天の参入表明が遅れたんだ!

 

そして楽天は初年度、圧倒的最下位ながら黒字化を実現。この経営モデル手法を公開し、各球団が真似をし始める。

 

騒動以前は、巨人戦がドル箱で、巨人戦のないパ・リーグが冷や飯を食っている状態だった。だから1リーグ構想が生まれた。

 

しかし、この井上さんの手法が有効であることがわかり、巨人依存ビジネスからの脱却、今のパ・リーグ人気につながった。

これがなかったら、今のプロ野球はなかったかも。

井上さんは、その後、楽天取締役オーナー代行とパリーグ理事長(5期連続)をされています。

 

瀬戸山さんはストライキはなかったほうがよかった。と思ってたようですが、結果的には、あれがなければ新たなプロ野球ビジネスモデルができずに、巨人依存のままプロ野球は死に絶えていたかもしれません。

かといってMLBとの差は広がる一方なんですけどね。