ピカソの絵の中では、巨大すぎるし、地味でモノトーンで、戦争の絵なので暗く鎮痛なので、あまり好きではなかったのです。
でもいろいろな人が、この絵の話をしているので、私の知らない魅力がある絵なんだと思ってました。
尊敬する出口治明さんもこの絵の話をしてたな。
私は大塚国際美術館でレプリカを見ました。
ということで、ゲルニカのアナザーストーリーズ
ほんとにこのシリーズはすばらしい。何もかもが勉強になる。
1,スペインがつい最近まで独裁国家だった
まずこの絵がスペイン内戦を批判した絵であることは知ってました。
スペイン内戦といえば、たしかヘミングウエイが参加して「武器よさらば」を書いたはず。
その内戦で勝利したフランコ将軍って1936年から1975年に亡くなるまで独裁してたって知ってました?
てっきり第二次世界大戦時、ドイツやイタリアみたいな独裁国家は枢軸国側で、すべて無くなっていたと思い込んでいました。しかもスペインって西ヨーロッパの代表のような国ですよ。アジアやアフリカの片隅じゃなく。民主化の代表的な国家なのに。
で、1975年、50年前ですよ。そんな最近まで、あの太陽のように光り輝いているスペインが、メッシや久保くんのいるスペインが、北朝鮮のような独裁国家だったって信じられねー。
2,ゲルニカはMOMAにあって、スペインに戻るきっかけは落書き事件
独裁政権に批判的だったゲルニカは、その巨大さゆえに行き場を失い、一時的にNYのMOMAで展示されることになった。しかしアメリカは当時、ベトナム戦争の泥沼化で、とても反戦の絵画を預かるにふさわしいとは言えない状況だった。
そこで1974年にはアーティストのトニー・シャフラジが赤色のスプレー缶で落書きを行う事件が起こったあと、ゲルニカはスペインへ戻ることになる。
このトニー・シャフラジっていう人、実は天才だ。ゲルニカをスペインへ戻す、最短で効率的な方法は、すぐに消えるスプレー缶でゲルニカに落書きする方法だった。こんなこと思いつく人いる?しかももしかしたら重罪で捕まるかもしれないのに。結局、不起訴。
3,ゲルニカが戻る場所を争われたが、解決したのは王妃の名前
ピカソが名誉館長を務めたマドリードの国立プラド美術館、絵画の主題の対象地となったゲルニカ、ピカソの出生地のマラガ、ピカソが青年時代を過ごしたバルセロナなどが絵画の受け入れ先に手を挙げた。マドリード、マラガ、ゲルニカの各市長とバルセロナのピカソ美術館館長をゲストに行われたテレビの討論番組では、絵画の受け入れ先をめぐって白熱した議論が繰り広げられた。
結局、マドリードの新しい美術館が所蔵することになったが、それを妬む人もいたため、襲われる危険性もあった。しかしこの新しい美術館の名前を国立ソフィア王妃芸術センターとすることで、誰も攻撃しなくなった。
王族というのは、このように使うものの典型例。
一方で彼の国はこれだからな。