幸せなことだけをして生きていきたい

日常で考えたことを、「14歳の私」に伝えたいコトを書いています。もっと失敗しろよ。

名誉と比喩としての切腹

私は、どちらかと言えばリベラルで合理主義で資本主義を信じています。

命が最も大事なものだと考えているので、切腹に何の合理性も見出せません。

voicy.jp

今回のCOTEN RADIOのテーマが切腹でした。

日本人にとって、切腹は特別なもので、名誉ある責任を引き受ける行為であり、他の地域ではなかなか理解できないところがある。

という内容でした。

 

切腹というのは、責任のとり方であり、名誉あることなんだ。

 

不祥事を起こした人が謝罪会見しているのは、これだ。

責任を取る。みんながそれで溜飲を下げる。

だから私は冷ややかに見てしまうんですよね。そんなんじゃねえんだよ。って。

 

そういう私もかつて比喩としての切腹をしたことがあるんです。

 

大学時代です。ある授業で友人というほどでもない知り合いが欠席していたんです。頼まれてもいないのに気を効かせて、出席確認時に私が代返したんですね。その担当教官が、授業途中にそいつがいないことに気がついてしまいました。

「誰か代返したな。名乗り出ないのならこいつに単位はやらない」

と言って去っていきました。

完全にやぶへびでした。

仕方がないので、その教官のところに行き、「私が代返しましたので私の単位を消して下さい。」って言いに行ったところ、その潔さに免じて、単位は取り消さない。と言われました。

私としては合理的な行動だったのですけど、その教官にとっては比喩的な切腹だったんでしょうね。

 

日本人にとって切腹は美学です。

 

だから三島は切腹した。

太平洋戦争では多くの兵士が特攻で亡くなった。

ウクライナ人が国のために命を失っていることに対し、熱い気持ちになる。