日本社会におけるリスキリングの課題と可能性
私の友人(会社経理部長)が会社のプログラムを利用して高校数学をリスキリング:学び直していると聞きました。が、それを聞いたとき、正直言って「それが本当に日本社会に役立つのか?」と疑問に思いました。
高校数学は確かに論理的思考を鍛える効果があるかもしれません。しかし、社会全体に目を向けると、日本の教育やスキル育成の方向性には、大きな課題があると感じます。特に、単なる技術的スキルの習得よりも、リベラルアーツ的な素養が不足しているのではないでしょうか。
日本社会のリスキリングにおける勘違い
リスキリングというと、どうしても「何か新しいスキルを身につけること」に集中しがちです。たとえば、ITスキルやデータ分析のための数学、高校で習った基礎科目を復習するといったことです。しかし、それらが具体的にどのように役立つのか、また本当にそれが必要なのかを考える機会が少ないように思います。友人のケースも、プログラムを受講している理由や目的が曖昧なまま進んでいる印象を受けました。
その背景には、日本の教育や企業文化が関係していると思います。終身雇用や年功序列といった従来の仕組みがまだ根強く残る中で、個人が新たなスキルを持つことの意義が十分に理解されていないのです。その結果、リスキリングが単なる「流行」や「義務的な学び直し」になってしまうことがあります。
リベラルアーツの重要性
日本社会に今必要なのは、リベラルアーツ的な教育です。これは単なる知識の習得ではなく、広い視野で物事を捉え、多角的に考える力を養う教育です。リベラルアーツの中では、歴史、哲学、文学、社会学など、さまざまな分野が統合的に学ばれます。これにより、単なるスキルの枠を超えた「考える力」が育まれるのです。
たとえば、高校数学を学び直すこと自体が悪いわけではありません。ただ、それが単に「論理的思考力の鍛錬」として行われているだけなら、限界があります。一方、数学をリベラルアーツ的な視点で捉え、その歴史的背景や哲学的意義を学ぶことで、より深い洞察力や創造力が生まれるかもしれません。
リスキリングの新しい形を目指して
リスキリングは、本来、個人が社会でより良く生きるための手段です。しかし、それが「何を学ぶべきか」や「学びをどう活かすべきか」といった本質的な問いに結びつかなければ、社会全体への貢献は限られます。高校数学を例にとるなら、それを学ぶ理由や目的を明確にすることが重要です。そして、その学びが単なる知識の獲得にとどまらず、自分や社会にとってどのような価値を生むのかを考える必要があります。
これからの日本社会では、リベラルアーツ的な素養を基盤にしながら、実践的なスキルを補完する形のリスキリングが求められるでしょう。広い視野を持つことで、初めて新しいスキルが活きてくるのです。
私たち一人ひとりがリスキリングの「本当の意味」を考え、それを実践に活かすことで、より豊かな社会を築いていけるのではないでしょうか。