幸せなことだけをして生きていきたい

考えたこと、学んだことの中から「12歳の時の私」に知っておいてほしいコトを書いています。

誰もあの町に引っ越したがらない。それはあの町の住民のせいだから。

昨日のブログを書いた後、実家のある町の窮屈さを考えていたら、いろんなことを思い出して来ました。

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例えば、引っ越し予定の人が、町について調べた結果を教えてくれました。

 

「閉鎖的な町なので、よそ者には居心地がよくない。」

 

とのことでした。さもありなんです。

 

近所の人々は、よそ者を異常に嫌います。あの人はどこから来た。素性はどうで、引っ越してきた理由は。。。と調査がすごいです。

 

もちろんいじめ抜きます。

 

そんな町、誰も住みたいと思いませんよね。

 

 

あと、も一つ。思い出したこと。

 

近所の大人たちが、私によく言ってたことは、

 

「うちは武士の家系なんで、この辺、一帯の土地はうちのもんだった。曽祖父が飲んだくれ賭け事好きで、全てを失って今の家にいるんだよ。」

 

という話です。それも一人の人だけでなく、たくさんの人が、多少の違いがあるにせよ、ほぼ同じ話をします。

 

子供ながらに、そんなあほな。と思ってました。

 

そもそも武士の割合って10%以下(そうでないと経済、生産性が維持できない)なので、そんなにたくさんの人が武士の家系であるわけがない。

 

(ほんとは のうみん でしょ。)

 

うちの親にも聞いてみたら、

 

「うちは武士家系!」

 

なんだそうで、

 

「証拠を見せて。」

 

って言うと、古いスーパー広告の裏に汚い字で書かれた家系図を見せられて、「次郎左衛門某」ってところを指差して、この人が武士なんだよ。って。。。

 

それ先祖の誰かが勝手に書いただけやん。。。

 

「この辺、一帯の土地はうちのもんだった」話については、

 

うちの街は旧街道なんで、みんなが狭い土地を共用していたのは、明らかです。しいて言えばどっかの殿様が所有してたかもしれません。殿様は家系図がちゃんとあるので、広告の裏の家系図と繋がってないのは明らかです。

 

この話って、家系(生まれ)以外に自慢できることがない、あれ、と同じじゃん。

 

あえてこれ以上は言わない。。。

 

地方に若者が残らないのは(若者のせいではなく)地方に住んでる人のせいだし、少子化がとまらないのは(女性のせいではなく)「子育てのために自分の人生&生活を一ミリも犠牲にする気のない」男性のせい

昨日、ちきりんさんが面白いことをツイートしました。

 

 

私も地方都市で、育ち、その後も数回、住んでいたことがあるので、このことはよーーーくわかります。

 

ある地方都市では、多くの若者は、大学生時代に都会に出ていくのですが、また戻って来る人がそこそこ多く、人口減少しているのですが、それほどでもありません。

 

何もない町だったので、どうして戻ってくるのか、いろんな人に聞いてみたのですが、居心地の良さを挙げる人が多かったですね。

 

今から考えると、このちきりんさんの指摘なんだと思いました。

 

つまりみんなと同じことをするのが好きで、目立たず生きていける人たちなんですね。

 

私も、ちきりんさんと同じで、子供のころは窮屈で仕方なかったです。

私自身、ちょっと変わっているので、他の子と同じようにできなかったんです。

 

近所のおばちゃんが、私を邪険にするので、「あのおばちゃん嫌い」と友達に言うと、その日の夜に、そのおばちゃんからうちの母親にクレームが来るのは、普通のことでした。

 

だから、小、中、高、大、就職と、成長するごとに、生きるのが、どんどん楽になっていきました。

タレントのYOUさんも、同じことをインタビューで言ってました。

 

だから私はあの町を出ていったんだ。そして帰るつもりもないんだ。

 

みんな、そうなんだろうと思っていたのですが、友人たちに聞いてみても、同意してくれる人は半分くらいですね。

 

不思議だなと思っていたのですが、思わぬところに正解がありました。

 

あの きゅーーーーくつな環境が好きな人がいる!

 

ってことですね。

 

ほんとにびっくり。

事実は小説より奇なり。と言いますが。 その4

前日の記事からの続きです。

 

新人弁護士としてA君は、猛烈に仕事をしていた矢先、なんとA君は若くして大病を患うことになります。

 

残念ながら5年生存率は極めて低い病気です。

 

詳しくは書けないのですが、私の職業がその病気に少し関連しているのです。

 

私はその道の専門家ではありませんが、この病気に関して、ある程度の知識がありました。

 

そして、その病気についてA君とともに考え戦っています。

 

私とA君の関係は、友達というのではないように思います。

もっと複雑な関係で、お互いを実質的に必要としています。

 

高校時代に出会い、当時はそれほど仲が良かったわけでもなく、何十年も連絡をとっていなかったのに、ある日突然、お互いに必要になりました。そしてそれぞれが歩んできた道が、なぜかお互いの助けになっています。

 

まるでジョンアーヴィングの世界です。

 

 

この不思議な話は、どこまで私達を連れて行ってくれるのでしょうか。

 

 

 

事実は小説より奇なり。と言いますが。 その3

前日の記事からの続きです。

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フリーターになったA君は、次は何をしようかなと考えていたところ、私のことを思い出したと言うのです。

 

そうです。あの

 

「お前は、いつも第三者だ。」

 

と私がA君に向かって言った言葉です。

 

私は何気ない気持ちで言った言葉です。

冷めているA君が気に入らないから、そう言ってただけだと思います。

そう言ったことすら、A君に言われるまで覚えていませんでした。

 

 

A君は、私のことを高く評価してくれていました。

そして次のように考えたそうです。

 

自分は第3者なんだ。

常に世の中を冷めた目で見ている。

弁護士に向いてるかも

 

と考えたそうです。

 

猛勉強し、法科大学院入学、卒業、司法試験合格、研修を終え、晴れて弁護士事務所を開設ということになったそうです。

 

さすが潜在能力のあるやつは違いますね。40歳にして弁護士になるとは。。。

 

軽々しく何の気無しに、人にものを言うのは、やめようと、私は反省しました。

 

しかし、世の中は不思議なことに溢れています。

 

でも、この不思議な話はまだ続くのです。

 

 

 

事実は小説より奇なり。と言いますが。 その2

前日の記事からの続きです。

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私のもとに届いたA君の「弁護士事務所開設のご挨拶」の手紙は、しばらく放置していました。

 

というのも、それほどA君とは仲が良かったわけではないし、嫉妬のような反発もあったと思います。

 

ところがです。

 

私からA君に連絡する必要ができてしまいます。

 

手紙が届いた時期に、私は、期せずしてトラブルに巻き込まれました。

私にも非がないとは言えず、なかなか人に相談もできず、一人で悩むしかないなと考えていたところ、A君のことを思い出しました。

 

私はすぐに、A君に連絡をとってみました。

 

A君は、全く変わっていませんでした。

相変わらず、おとなしく、読書好きでした。

 

A君は、私のトラブルの話を聞いてくれ、アドバイスのおかげもあり、私のトラブルはすぐに解決しました。

 

「めっちゃ困ってたところに、あの手紙が来たんで、本当に助かったよ~。」

 

と、A君に感謝を伝えると。

 

A君は私に感謝したいことがあると言い出したのです。

 

A君は、有名大学を卒業後、読書好きが講じて、大手出版社に就職したそうです。

そこで、A君は、学術書を大学研究者に営業していました。

読書好きとしては夢のような仕事だったそうです。

 

私には理解できませんが。。。

 

A君の営業成績は予想通り優秀で、いよいよ課長に出世することになったのですが、A君は研究者の営業という最も楽しい仕事を辞めさせられ、全く興味のないマネージメントをすることになってしまい、面白くなくなって、すぐに会社を辞めてしまったのです。

 

そしてフリーターになったA君は、次は何をしようかなと考えていたところ、私のことを思い出したと言うのです。

 

 

 

事実は小説より奇なり。と言いますが。 その1

昨日、母校について書いていて思い出したことがあります。

 

私は、いわゆる進学校ではない!高校を卒業しました。

 

半分の生徒は就職し、残りは専門学校や、大学への進学でした。

 

その高校で、出席番号が私の一つ前のA君は、高校生のくせに、太宰治とか筒井康隆とか読んでいる変わったおとなしいやつでした。

 

私が女子目線を気にして(気になってしかたがなかったんです)、わあわあハシャイでいると、A君は私に向かって、冷たい一瞥を投げていました。

 

たぶん、そのことが私は気に入らなかったんだと思います。

 

そんな時、私はA君に向かって

「お前は、いつも第三者だ。」

と言ってたそうです。

 

A君とは卒業してから数十年、音信不通でした。

某有名大学に入学したと、風のうわさで聞いていました。

あの高校では、有名大学に入るやつは非常に珍しかったのです。

 

そのA君から、数十年後に、突然、手紙が来たのです。しかも

 

「弁護士事務所開設のご挨拶」

 

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です。

びっくりしました。

 

あの高校の卒業生で、弁護士って。。。

 

 ありえない。

 

しかもこの年令で弁護士になったって、遅くねーか?!

 

しかし、これがこの不思議な話の始まりでした。

私も、犬塚先生と一緒で、望まれなかった生徒なんだな。

先週のワイドナショーで気になったところがありました。

 

弁護士の犬塚先生が、暗い顔でご自身の高校生活を語られていたところです。

www.legacy-cloud.net

 

「私の高校は、総合選抜制で、複数の高校が同じ入学試験をし、その後、振り分けられるものでして、私は、近くの伝統高校に行きたかったのですが、遠くの新設校に割り振られてしまい。。。」

総合選抜 - Wikipedia

 

あれ!? 私と同じじゃん!

 

私も、数少ない、今はなき、悪名高き 総合選抜の犠牲者です。

 

私の通っていた中学の隣に、伝統校である志望高校があり、近所に住むほとんどの生徒はこの高校に行ってました。なので「私もこの高校に通うんだ」と自然に思うようになりました。

 

総合選抜は、高校間格差を是正する目的で作られた制度なので、合格レベルは自然と下がります。だからこそ絶滅したのだと思います。

 

私の成績からすると、志望校は十分なものでしたが、その志望校に通りたい(中学の友達のほとんどがこの高校に行くから)一心で、頑張って受験勉強をし、受験直前では、クラス10番以内にまで順位を上げていました。

 

ところがです。私が合格したのは、どこにあるのかもわからない新設校でした。その新設校は辺鄙な場所にあり、当時、最も人気がなかったので、他校志望者の多くがこの新設校に振り分けられたのです。

 

歩いて10分で高校に着くはずなのが、自転車10分+電車15分+徒歩30分という道のりになりました。おまけに電車は1時間に2本しかありません。。。

 

そして私の友人たちの多くは伝統校に行ってしまいました。

 

「志望校から望まれなかった生徒なんです。」

と犬塚先生が話されていて、久しぶりに自分の高校を思い出しました。

 

その挫折があるので、犬塚先生は弁護士になり、私もそれなりの大学に行けたのかもしれませんが、なかなかホロ苦い経験です。