幸せなことだけをして生きていきたい

日常で考えたことを、「14歳の私」に伝えたいコトを書いています。もっと失敗しろよ。

東京電力廃炉資料館

東京電力廃炉資料館

行く価値ありです。

 

地味なたたずまいの施設。案内も看板もない。知られたくないのかな。

見学者も少なかったです。

 

自由見学なし。ツアー形式。なので予約がおすすめ。私はたまたま潜り込めた。12人の高齢者グループ。

 

録音録画が禁止。スタッフも真剣。

処理水問題でピリピリしているのかもしれないし、原発問題自身で緊張感があるのかもしれません。

このスタッフ、大変だろうと思います。

 

各映像のナレーションがすばらしくて、相当お金かけてるなって思いました。

 

理系出身の私でも、説明を理解するのはかなり難しい。寝ている老人も多かったです。

それでもかなり理解が進みました。

原発事故については、ニュースやドキュメンタリーで散々勉強しているので、わかったつもりでいましたが、見学後は全くわかってなかったなと思いました。

たった60分の見学でこれほど理解が進むのに、TVやドキュメンタリーは何やってんだ?

 

アップデートされた知識

後になって判明していることや、未だに内部で起こっていることが解明できてないことで、情報が更新されています。

 

今回、私が学んだことは。

 

当初の対応はうまく行ってた。

地震発生直後、スクラム(原子炉に制御棒を入れる)で原子炉停止はできた。でもその後の津波で電源を失い、冷却できなくなった。原子炉は急には止められない。12年経った今でも原子炉が熱を持っていることからも、止めるのが本当に難しいかがわかる。逆に言えば、この時に電源さえあれば、全てうまく行ってたはず。

 

原子炉建屋の意味。

建屋が爆発して大騒ぎしていましたけど、私はあれは外側の覆いだから、あれは本質じゃない。問題は原子炉だと考えていました。

でも原子炉が潰れてしまったので、建屋は放射線物質が外にでないようにする最後の防御壁になってたんですよね。だから建屋が爆発すると放射線が漏れ出て、周囲の線量が一気に上がってしまった。

 

 

1−4号機ががそれぞれに違った形で壊れていた。

これもわかってなかった。

当時、1−3号機が稼働していて、4号機は動いてなかった。4号機の建屋はこわれたけど、排出線量は他に比べると小さかった。

3号機は1−2号機より高台にあって冷却できたので壊れ方は少しましだった。

2号機は1号機建屋の爆発時に2号機建屋の横壁に穴が空いてしまったので、建屋は壊れなかったけど、排出線量は多かった。

 

処理水

貯蔵されている処理水のうち、3割のみがALPS処理で、7割はもう一度ALPS処理をしないといけない不十分な処理水なんだそうです。

1日90トンの汚染水が出てくる。これ、むちゃくちゃ多いですよね。

私は海洋放出に賛成です。