ホームランアーチストの美学
ホームランアーチストといえば、田淵幸一や門田博光を思い浮かべます。現代のホームランは、150kmを超える速球に対して信じられないスイングスピードで叩き、異常な打球速度であっという間にスタンドインします。
一方、ホームランアーチストのホームランは、ボールをバットにすくい上げるようなスイングで、高く打ち上げ、ゆっくりとした軌道を描いてスタンドインします。その美しさは、この優雅なフォームと軌道に由来するのだと思います。
久しぶりにホームラン映像を見ましたが、美しい。
かつてのヒーローの物語
再放送
ETV特集 ある野球人の死 “不惑”の大砲 門田博光
NHK Eテレ 6月20日(木) 午前0:00〜午前1:00(1時間0分)
www.nhk.jp
幼少期の苦労
門田博光は幼少期から多くの苦労を経験しました。先日亡くなったざこば師匠も同様に、大阪球場での苦労を経験しています。門田は不人気球団の4番バッターとして苦労し、ざこば師匠は中学生時代にビール売り子をしていました。時期は異なりますが、貧しい時代を共有していたのです。
野村監督との対立
門田博光は入団当初から野村監督と対立していました。野村監督は「ホームランはヒットの延長」という考えを持ち、レジェンドの王貞治を使って門田を説得しようとしました。しかし、門田は「ホームランを狙ってホームランを打つ」という自分の信念を最後まで曲げませんでした。この頑固さが彼をヒーローにし、悲しい晩年を迎える一因となりました。
昭和的なエピソード
門田博光は、現役時代から使い続けていた1kgを超える重いバットを、監督をしていたアマチュア球団でも強制していました。この昭和的なエピソードも、現代の人々には理解し難いかもしれません。晩年、門田が気にかけていた現役最強打者、村上宗隆が軽いバットを使っているのと大きな差があります。
晩年の孤独
晩年、門田は兵庫県の片田舎で暮らしました。私もその近くに住んでいたことがあるので、彼が人を避けるように暮らしていた雰囲気が理解できます。
王、長島、野村との違い
門田博光の晩年は、王貞治や長嶋茂雄、野村克也とは対照的でした。彼は人とうまくやっていくことができず、江夏豊に似た部分もありました。しかし、江夏はトラブルから学び、立ち直ることができましたが、門田は変わることができませんでした。そのため、離婚し、家族と断裂し、一人で暮らさざるを得なかったのです。彼が望んでそうしていたならばそれも良いのですが、本人は王や長嶋、野村を羨ましく思い、寂しさを感じていました。かつてのヒーローの晩年というのは、複雑なものですね。
門田博光がなぜこのような人生を歩むことになったのか、そしてどうすれば良かったのか。なかなか難しい問題です。