幸せなことだけをして生きていきたい

日常で考えたことを、「14歳の私」に伝えたいコトを書いています。もっと失敗しろよ。

ドラフトの季節に思い出す寂しいこと

今年のドラフトも終了しました。

 

入団に希望を膨らませる選手がたくさんいる一方、枠が決まっているため、それだけの選手が退団することになります。

またポジション、タイプなどによって、入団する選手と似た選手が退団していくことになります。この辺は球団事情なので、実力主義ではないところが悲喜こもごもですね。

 

私は例の「トライアウト」番組が好きではありません。

どうも感動ポルノ的で、無理やり感があるんですよね。

合格する選手は一握りで、しかもその中で活躍する選手はほとんどいないという現実。

そういうのに気がつくと冷めてしまいます。

半分くらいの選手は区切りのための出場だと思いますが。

 

さらに余談になりますが、今年は新庄選手が出場するようです。

これな。。。

真剣にやっているのでしょうが、どうもマスコミの取り上げ方が面白おかしくやっている感じがして、これも好きになれません。真剣にやっている選手がとばっちりを食わないか心配です。

 

話を元に戻します。

ドラフトといえば思い出すことがあります。1991年です。

Wikipediaより引用

「翌年に行われるバルセロナオリンピックの関係で指名凍結選手が多数いたため不作の年とマスコミでも言われていたが、結果としてはイチロー石井一久などを中心にメジャーリーグヘ5人移籍し、国内でも金本知憲三浦大輔などタイトルホルダーが多数現れる大豊作の年となった。」

 

結果的には史上まれに見る大豊作の年だったのですが、当時はあまり話題もなく地味なものでした。

そこで目を付けられたのが、ダイエー1位の若田部投手と中日1位の落合投手です。

若田部投手は4球団競合だったので、地味ながら相当注目されていました。

 

ドラフトの直後から春キャンプまで密着取材が行われ、プロ野球ニュースでは専門コーナーまでできていました。二人ともマスコミの期待に応え、ちょっとした面白いことやドギツイことなんかも言ってました。

 

もちろん次の年には見向きもされませんでした。

 

当然、この年のドラフト選手は全員引退しているのですが、この二人の成績は、大豊作年のドラフト1位としては、期待はずれに終わりました。

 

当時の私としては、二人はマスコミの餌食になったような気がしていました。

まだプロでの実績が全くない選手が、必要以上に注目されたことで潰されたのではないか。もし注目されなかったら違う野球人生があったのではないか。

 

ハンカチ選手もそうですよね。ドラフトの後、来年10勝するかどうか友人と賭けたことを覚えています。結果は6勝で、この年がピークでした。

 

マスコミは売れればなんでもいい。選手の将来がどうなろうと知ったことではない。

球団は人気者が出てくると売上に直結するので取材はどんどん受ける。

 

でもある程度、制限しておいたほうがいいよね。きっと。

今年のドラフト選手の中にそういう犠牲者が出ないことを祈ります。

また球団も選手を守ってあげてほしい。