世の中には決定的な正しさなんてありません
世の中の問題のほとんどは、これじゃないかな。と思う。正しさなんて、どうでもいい。「私、間違ってる?」って聞いてくる人が多いけど、そういうことではないんだよ。 https://t.co/WwPRMMlFC5
— ふぇでらお federao (@ymcf6) 2019年1月25日
3年前のツイートを思い出した。
この本を読んで
人生のサバイバル力 17歳の特別教室
世の中には決定的な正しさなんてありません。
一方で、正しさが何よりも重要だ。と考えている人がたくさんいるんだろうけど、論理的じゃないことが正しいことだってあり得ます。
この本の例えは、
学歴の低いお父さんが、学歴の高い子供に向かって勉強ばっかりしやがってと言う。これはお父さんが子供が遠いところに行ってしまうんじゃないかと寂しがっている表現。
論理的には、お父さんはそんなふうに子供に言うべきではない。寂しいなら寂しい。というべきだ。でも寂しいと言えないところに人間らしさがある。より一層寂しさが感じられる。そのまま打ち返してもドラマは生まれない。
ドラマを生むには、そういう機微というか、地下に降りていく行為が必要。
原子力爆弾だってきっと論理的に正しい人が作ったに違いない。でも広島長崎で多くの人の命を奪った。
正しさなんて使いよう。
論理的に正しく倫理的に正しい
論理的に正しく倫理的に正しくない
論理的に正しくなく倫理的に正しい
論理的に正しくなく倫理的に正しくない
この中で一番危険なのは2番目。
つまりそういうこと。
AIが人間を追い越すとよく言っているけれども、AIは地下に降りていくことはできない。だから消してAIが人間を追い越すことはできないと思っていた。
けれども最近、世の中が、論理的な正しさで埋め尽くされてきてる。
こういう世の中を見るにつけ、もしかしてAIに負ける時代がやってくるんじゃないかなと考えたりしている。
第2章 「世界のどこでも、またどの時代でも、欲を満たすために殺された人より、正義の鉄槌を下すために殺された人の方が多い。」
— ふぇでらお federao (@ymcf6) 2020年2月23日
正義がいかに危ないものか、不安定なものか。絶対的な正義なんて言うやつは信用できないよな。