「私、間違ってる?」というのは危険な言葉
世の中の問題のほとんどは、これじゃないかな。と思う。正しさなんて、どうでもいい。「私、間違ってる?」って聞いてくる人が多いけど、そういうことではないんだよ。 https://t.co/WwPRMMlFC5
ちきりんさんが、おもしろいツイートをしてます。
日韓レーダー照射問題と、小室圭さん問題が似ている点は、「自分の正しさを認めてもらうこと」が問題の解決につながると誤解してるところ。
そうやって考えると、北方領土問題もそうだし、世の中の問題の、ほとんどはそういうことってことになるな。
私がこのことを初めて感じた出来事は、下記に書きました。
正しさを追求しても、意味がないどころか、逆に害がある。
ヒューリスティックってことも共通点が多い。
こういった解決方法のないような問題については、ウヤムヤにしてしまい、「まあそういう問題もあるけど、力を合わせて前に進みましょう。」的なノリが一番だと思うようになりました。
真面目な人ほど、正しさにこだわってしまい、断裂が深刻化してしまう。
トランプ誕生もこれだったよな。
わが支店の赤字問題もウヤムヤになりつつあります。
誰のどの判断が一番悪かった。ということを明らかにしても赤字は解消されません。それよりも、今、少しでも売上を上げるほうが大切だし、みんなの幸せに繋がる。
まさにヒューリスティック。
この本にも書いてありました。正しさの追求が良くないって。
ファクトを重視。よりスキャンダラスでないほう、より正義を語ってない方を選ぶ。
「私、間違ってる?」というのは危険な言葉です。