幸せなことだけをして生きていきたい

日常で考えたことを、「14歳の私」に伝えたいコトを書いています。もっと失敗しろよ。

映像の世紀というものは、たかだか数十年だけだった

あれからすっかりハマっている「映像の世紀バタフライエフェクト

 

yoshimor.hatenadiary.jp

 

今回もすごかった。

 

再放送

映像の世紀バタフライエフェクト 世界が揺れた2つの年 1968と1989     NHK総合
2月7日(水)
午後11:50〜午前0:35(45分)

 

www.nhk.jp

ヴォルフ・ビーアマンという東ドイツの詩人がいる。政府を批判し、国外追放された人物である。1989年、東ドイツ市民が自由と民主化を求めて立ち上がった時、ビーアマンはその象徴となった。彼には娘がいる。国民的大ヒット曲「カラーフィルムを忘れたのね」で知られるミュージシャンのニナ・ハーゲン。ふたりはベルリンの壁崩壊に大きな役割を果たした。1968年と1989年。ふたつの激動の年をつなぐ勇気の連鎖の物語。

 

映像の世紀、つまり映像が瞬時に世界中に届けられるようになった時代、になり、ベトナム戦争やヨーロッパ学生の弾圧、プラハの春などの残虐な行為が、世界中の人が目にするようになった。そして人々が怒り、立ち上がり、デモをするようになった。その結果、ベトナム戦争は終わり、東欧の国々が独立し、ベルリンの壁は崩壊した。

 

映像の世紀になり、世の中の透明性がどんどん進み、残虐行為は報道され、その度に民衆の力で解決できるようになる。

と世界中の人々は思ったし、私もそうなると強く信じていた。

 

でも現実は全く違うものになった。

ウクライナやガザでは残虐なことが毎日のように報道されているが、解決の糸口さえ見つからない。

 

どうしてこんなことになってしまったのか。

世の中には、私たちの残虐なことが想像以上に多くあり、私たちの認識が追いつかないのだろう。実際に今も、世界中で人身売買が行われ、悲惨な殺人事件が頻発し、虐待が起こっている。

 

きっとベトナム戦争終了や、ベルリンの壁崩壊の裏では、アフリカの片隅で残虐事件が起こってたのかもしれない。あの時、私たちが目にしたものは、たまたま解決した場面だけであって、裏にある無数の問題は何にも変わっていないんだろうね。それがウクライナでありガザになってしまっただけなんだと思う。