先日の続き。ひろゆきさんの本の感想です。
ひろゆきさんは、努力の無意味さを唱えてます。
ちょっとニュアンスは違うんですが、私は努力型でした。
おそらく中学時代の成功体験が元になっていると思います。
小学校までは普通の生徒だったのですが、
小学校は丘の上にあり、一番遠いのが私の家でした。徒歩30分。
部活もやっていたので、必然的に体力がメキメキつくことになりました。
どちらかというと体力ないやつだったのに、校内マラソン大会では、バスケ部エースに続く準優勝をし、優勝したエースに「お前、やるな。」と言われたことが中学イチの思い出です。
このことから私が学んだのは、
努力で何事かを成し遂げることができるけれども、その努力には仕組み化が鍵になる。
ということでした。
おそらく、それなりに地力があって、私と同じ通学をしていたら、私と同じようにマラソン準優勝できたと思います。
その学びが生きたのは、大学受験です。
その昔、現代社会という科目があったのですが、制度の狭間で、ごく短期間しか受験科目になっておらず、教科書もばらつきが多く、試験作成者も手探りでした。実際、対策問題集や、予備校が作る模試はかなり違和感のあるものでした。模試の結果は偏差値50程度でした。
なので、私は常識的な問題しか出ないと考え、新聞を読むことだけで、本番では、ほぼ満点を取ることができました。
現代社会というラッキーな科目があり、私はおかげで大学に入学することができました。しかし私はラッキーだけとは考えていなかったのです。私なりに対策を考えることで、他人を出し抜いたと考えていました。
つまり努力は報われると考えていた。と思います。
そしてその成功体験が、あとあとの失敗につながるわけです。