これ、面白い!
— ふぇでらお federao (@ymcf6) 2021年3月10日
薩長が発展したのは貿易していて経済力があったから。利益誘導するよりも幕府を倒して新政権を作るほうに忙しかったと思う。革命時は誰がグランドデザインを考えたかが重要。 https://t.co/NTGBUVXe3Z
鹿児島と山口は海に面していて、歴史的に貿易で財を成した。
だから薩長が経済力を持っていたのは必然。
貿易しているので、自然と新しい文化や思想なんかも入ってきたと思う。だからそれに感化されて意識高い系の人が増えていた可能性が高い。
じゃ、なんで鹿児島と山口より福岡の方が発展したのか?
まずは
福岡が発展した理由。
wikiによると
明治維新の近代初期は現在のように九州地方で最大の都市では無かった(都道府県庁所在地と政令指定都市の人口順位を参照)。当時、九州地方最大の都市は長崎市・鹿児島市であり、九州地方を統括する中央の出先機関は熊本市に置かれるなど、九州地方における福岡県および福岡市の重要性は低かった。1899年博多港開港、1911年九州帝国大学(現在の九州大学の前身)設置に端を発して発展が進み、徐々に九州地方の中枢として位置づけられるようになった。1910年代に熊本市の人口を抜き九州地方最大となる。
やはり明治初期に福岡はそこまで大都市ではなかった。
となると製鉄所ができたことがやっぱ大きいのかな。これで経済発展した。薩長の追随を許さない。
あと鉄道も大きいかも。鉄道なら鹿児島はめちゃめちゃ遠い。福岡は九州の玄関。この違いかも。
福岡ってたしかに住みやすそう。空港もめちゃ近い。
近代にできた街だからかもしれない。
じゃ薩長が衰退した理由。
鹿児島、山口の人たち、大久保 利通とか木戸孝允とかは、地元に利益誘導して、製鉄所を作ってれば、今の福岡になっていたかも。
でもこういう人々は、まずは旧幕府や西郷さんと戦うことで忙しかったし、それが終われば、今度は日本という国を作るという大仕事があった。地元のことを考えている暇がなかったのかも。もし直接選挙があったら地元利益誘導もちらっと頭をよぎったかもしれないけど。まだ選挙はまだ先。その手前の問題が山積み。憲法すらない状態なんだから。
ということが私なりの答え。