幸せなことだけをして生きていきたい

日常で考えたことを、「14歳の私」に伝えたいコトを書いています。もっと失敗しろよ。

M-1 グランプリの功罪 ではなくて価値

私はお笑い大好きです。

アーチストだと思っています。

 

そしてM-1 グランプリ決勝に残った人たちは、本当にすごいと尊敬しています。

 

 

 M-1 グランプリの価値は、直木賞芥川賞と同じだと思います。

 

マーケット拡大!

 

です。

 

賞レースというエンタメに仕上げることで、コンテンツに入りやすく、理解しやすくなる。

 

私自身がまさにそうです。

 

私はお笑い好き。と言っても、真剣に漫才を見ることは年数回。

決勝進出組の半数は初めて見るコンビ。

M-1がなければ、まず巡り合わない。

 

お笑いにそんなに興味ない人でもM-1なら見ますよね。

TV好きの中高年にしてみると、漫才TV番組はほとんどないから、漫才自体をめったに見ない。決勝に出てくるコンビのほとんどはTVに無縁の人たち。劇場でしか会えない。

ネット中心の若者からすれば、ネットでもSNSでも話題になるから、見てみようかなと思う。

お笑いに興味あるけど、見る機会のない人々が、見ようかなと思うすごーく貴重な機会。

この拡大戦略は、ほんとに素晴らしい。考えた人(まっちゃん?)はほんとーに偉い。

 

直木賞芥川賞も同じ。

賞レースに出てこなければ、半数は読まない。

出てくるからこそ、TVニュースで取り上げられ、注目度が上がり、理解しやすくなる。

だからこそ話題性のある人(芸人とかアイドルとか)が候補者に選ばれる。

(これ言っちゃいかんやつ)

 

マーケティングとしては鉄板。

視聴者も芸人(作家)もTV局(出版社)も提供元も、誰も損しない。

 

ノーベル賞アカデミー賞グラミー賞、甲子園、箱根駅伝も全部そう。

芸術に順位付けなんて意味ないけど、賞レースというコンテンツにすることで、マーケットが拡大する。

 

そうか。

だからトム・クルーズはアカデミー取れてないんだ。取れないトムというコンテンツ。最後の最後で悲願のアカデミーというコンテンツになる。

 

 

 

M-1がない時代、芸人が成り上がるチャンスはほぼ0だった。

今は漫才の巧拙は別にして、M-1で勝ち上がれば成り上がれる。

 

売れない芸人でもよしとする考え方もあるとは思いますが。

baseballstats2011.jp

 

ここまで理解して、お笑いに順位付けって意味ある?とか。これは漫才じゃない。とか。

 

これに変わるコンテンツ作ってからいえよ。

ないから困ってるんじゃん。

これってほんとーにかけがえのないもんなんだよ。

だから私は毎年、M-1見ています。