昨日のブログ記事について考え続けてます。
なんでアメリカはすぐバレる嘘をついたのか?
ってすごく疑問だったんですよね。
リスクに見合わない。
当時はそれだけの価値があると思ってその決断をしたんだと思うんです。
どれだか馬鹿げた理由であったとしても、当事者としたらそうするしかなかった。
これって当事者意識(リーダーシップ)と、具体・抽象問題だと気が付きました。
例えば
コダックって世界で初めてデジカメを開発した会社だったけど、写真フィルムにこだわってデジカメに駆逐されてしまった話は有名です。
あれだけ有名なアメリカ企業なのに、GAFAMに負けないくらいだったのに、東芝やシャープみたいな失敗をしている。
きっとたくさんの優秀なブレーンがたくさんいたはず。
それでも出した結論は写真フィルムにこだわる。
歴史を振り返って、正解を知っている立場からは何とでも言える。
コダックはフィルムにこだわるべきじゃなかった。
さっさと捨ててデジカメに乗り換えるべきだった。
当事者にはいろいろな思いがある。責任がある。悩んだ上での選択が間違ってしまうのは、ある程度仕方ないのではないのかもしれません。
例えば、コロナ問題。
みんないろんな意見を言っている。
もっと行動制限すべきというのは、正しいし簡単。
でも経済が冷え込んで、経済的に死に瀕している人もいるのは事実。
痛みの伴わない正義。
例えば、人権問題を抱える中国にオリンピック参加資格ないと言うこと。
人権問題からは正しい。
でも日本の総理大臣が表立って、そんなこと言える?
それで中国の反感を買って、貿易が止まったら、それで経済的に死に瀕してしまう人が出てくる。あなたがその面倒を見ますか?
わかり易すぎる論理を言っている人こそ危ないのかもしれない。
こういうところに疑問を持ち考えることが当事者意識(リーダーシップ)でしょ。