幸せなことだけをして生きていきたい

日常で考えたことを、「14歳の私」に伝えたいコトを書いています。もっと失敗しろよ。

絆社会は信頼しあえる社会ではないのかも

 先日、読んだ本が面白かったので紹介します。

 

エッセイ集のような読みやすい本ですが、日本の歴史や、民俗学、現代のつながり、ITなど多くのものを考えることのできる本です。

 

そもそも昔の日本の村社会は、他人に厳しい社会だった。

 

と、日本の絆社会を否定しています。これは痛快ですね。私も古き良き日本社会がよかった論には否定的です。差別は蔓延していましたし、いじめもありました。殺人事件も多かったです。全然、いい時代ではなかったですよ。

これは思い出バイアスですね。いいことは、いつまでもよく覚えています。一方、悪いことは忘れてしまいたいので、ないことにしてしまいます。

 

この村社会は江戸時代に成立した。

 

なるほど。それまでは移動が自由でしたので、好き勝手に移動できたはずです。よそ者に対しても受け入れる文化があったと思います。源義経なんて、北陸、京都、兵庫、奈良、東北と、むちゃくちゃ移動していますが、どこでも英雄ですし。

村社会成立は、秀吉の刀狩りで、農民が武士になれなくなり、江戸時代以降、移住が禁止されてからのことだと思います。

つまりけっこう最近のことだということですね。

 

村社会では狭い息苦しい人間関係で監視社会でしたが、その代り誰かが自分を見ていてくれてました。いつまでも一人なら、やり手のおじさんがどこからかいい人を紹介してくれました。今は、監視社会ではない代わりに誰も自分を気にしてくれません。

監視しあっているので、一見、絆が深いように見えるが、お互い信頼しているわけではないというのも面白い理論です。

だから旅の恥はかき捨ててしまう。例えば太平洋戦争のときの、海外での日本人の行動ですね。監視が無くなると歯止めが効かない。恥の文化ですね。

陪審員制度が司法の行き過ぎの防止のために導入されたのに、さらに過激な判決が出るようになってしまったというのも、よそ者に厳しい日本人らしいとことですね。

 

グローバリズムが開かれた社会を促進しています。最近の組織論では多様性が重視されています。これは村社会とは真逆のものですね。つまり時代は監視社会、閉ざされた社会から、オープンな多様性のある社会になりつつあるのでしょう。

 

いろいろなものを考えさせてくれた本でした。

 

時代は確実にいい方向に進んでいます。将来は明るいと私は信じています。