幸せなことだけをして生きていきたい

日常で考えたことを、「14歳の私」に伝えたいコトを書いています。もっと失敗しろよ。

余白のあるなし

「おまえ、俺の話、ちゃんと聞いてんのか」って一人が言うと、もう一人が「俺はつんぼじゃねえや」と答える。(中略)普通の会話だったら、「おまえ、俺の話聞こえてんのか」「聞こえてら」で済む会話ですよね。でも、それじゃドラマにならないわけ。「つんぼじゃねえや」と返すから、そのやりとりに動きが生まれる

 

これは、村上春樹さんに川上未映子さんがインタビューしたものをまとめた本「みみずくは黄昏に飛びたつ」の中の一節です。

 

今、大ヒットしていて日本アカデミー賞を受賞した「ドライブ・マイ・カー」も同じです。余白がたくさんあるからドラマになっている。受け手がいろんなことを想像できる。結局、アートってそういうことなのかもしれない。

逆に余白がほとんどないかっちりしたストーリーだと、一般受けがいいけど、ドラマの展開としては深みがなくなる。

 

村上春樹さんは、この深みを建物の地下一階に例えてます。

地下に降りていくとドラマが生まれる。でも一般受けしない。

 

例えば朝ドラ。朝ドラで余白出されても、高齢者、子供はよくわからない。老若男女が理解できるようにするためには、すみずみまで説明しておかないといけない。

 

このことを考えていて、我が部署の会議を思い出した。

 

「聞いてんのか」に対して

「はい」か「いいえ」で答えるのが部長。理系。物事はくっきりはっきり、灰色は認めない。その分、深さ、人の心情に配慮が欠ける。

 

一方、

「つんぼじゃねえや」と答えるのが新入り。文系。人間関係や、利害関係、いろんなことを考えているので、結局、何が言いたいのかよくわからん。会議の場でドラマ出されてもね。